「Willを持て」だけでは成果につながらない構造的理由
新規事業の文脈で最も頻繁に繰り返される助言がある。「まず、あなた自身のWill(やりたいこと)を見つけなさい」「原体験に基づいた課題を探しなさい」。この言葉に従い、多くの新規事業担当者が自らの内面と向き合い、過去の経験を掘り起こし、「私はこれがやりたい」という旗を立てる。しかし、結果はどうだろうか。
ある大手企業の社内起業制度では、3年間で120件のエントリーがあり、そのほぼ全てが「個人の原体験」に基づく提案だった。しかし事業化に至ったのはゼロである。担当者たちのWillが弱かったからではない。むしろ、彼らの多くは極めて強い情熱を持っていた。問題は、その情熱がビジネスの成否に寄与しなかったことだ。
スタートアップの文脈では有効に機能する「熱量」が、大企業の新規事業では構造的に異なる働き方をする。その構造を理解することが、再現性ある事業創出の第一歩になる。
ワークマンの「エクセル経営」に教わったこと
筆者が「熱量」の位置づけを見直すきっかけになったのは、ワークマンの事業開発を取材した時のことだった。ワークマンが「ワークマンプラス」「ワークマン女子」という新業態を立ち上げ成功させた過程に、担当者個人の「原体験」や「情熱」は一切登場しなかった。あったのはExcelシートと販売データだけである。「高機能・低価格のウェアが、職人以外のアウトドア層にも需要がある」という事実は、個人の直感ではなくPOSデータの分析から発見された。
当時、筆者は別の企業で新規事業メンターを務めており、まさに「原体験を掘り下げよう」「Willを言語化しよう」と指導している最中だった。しかし、その指導の下で生まれた8つの事業案は、いずれもニッチすぎて市場が存在しないか、担当者が異動した瞬間に消滅するものばかりだった。属人的な情熱に依存した事業は、その人間がいなくなれば終わる。この対比が、データ起点の事業開発の重要性を鮮明にした。
熱量だけに依存する場合に生じる3つの構造的課題
大企業の新規事業において、個人の熱量と原体験のみに依存した場合、なぜ期待通りの成果が出にくいのか。その理由は3つに集約される。
確証バイアスが増幅されやすい
強い原体験を持つ担当者は、無意識のうちに自分の仮説が「正しいこと」を証明しようとする。インタビュー相手は共感してくれそうな知人に偏り、質問は肯定しか引き出さない設計になり、反証データは「調査方法が悪い」と曲解される。
スタートアップなら資金が尽きて強制的にピボットせざるを得ないが、大企業では潤沢なリソースが「自説の証明」に流用され、市場のNOを無視したまま事業が延命する。この構造が「ゾンビ事業」を生み出すメカニズムである。
属人性が組織の再現性を妨げる
企業の本質的価値は「組織としての再現性」にある。しかし、個人のWillや原体験は定義上、極めて属人的であり他者が模倣不可能だ。特定個人の「想い」に依存した事業は、その個人が異動した瞬間に崩壊する。2〜3年周期の人事ローテーションを前提とする日本の大企業において、これは構造的に持続不可能な設計である。
学習プロセスが阻害されやすい
新規事業の本質は学習にある。しかし過度な熱量は「既に答えを持っている」という確信を作り出し、学習の前提である「自分が知らないことを認める」姿勢を妨げる。情熱は、自己を客観視するメタ認知の目を曇らせ、誤った方向へ全力疾走させる推進力になってしまうことがある。
明日の会議で試せる「熱量+データ」の3ステップ
熱量を否定する必要はない。ただし、データと組み合わせる設計が不可欠だ。 まず、次回の事業案レビューで「反証セッション」を導入する。 提案者に「この仮説が間違っている可能性を示すデータを3つ挙げよ」と問いかける。反証を探す行為自体が、確証バイアスへの最も有効な対策だ。
事業案の評価基準に「学習指標」を追加する。 「想い」「原体験」だけでなく、「検証した仮説の数」「反証されたピボットの回数」「顧客インタビューでのNOの件数」を評価指標に加える。学習の質を測ること——それがイノベーションの質を高める。
ワークマン式の「データファースト」を試す。 次のアイデア出しでは「個人の困りごと」だけでなく、「自社の販売データや顧客データに存在する空白地帯」からもスタートしてみる。データが示す事実から出発すれば、担当者が交代しても事業は継続できる。
この記事が特に有用な人
本記事が最も価値を持つのは、以下の立場にある人だ。 社内起業制度やアクセラレーターで「Willを見つけよう」と指導している事務局担当者。 熱量だけを重視することが応募者の質を下げ、逆選抜を起こしているかもしれない。
「原体験」に基づく事業案を推進しているが、顧客開発で空振りが続いている起案者。 市場データに基づいてピボットする判断基準を、自分の情熱に加えて持てるようになる。
新規事業の評価基準を設計している経営企画部門の人。 「想い」や「原体験」のみを評価軸にすることの構造的リスクを理解し、学習指標との組み合わせを検討できる。ただし、創業初期のスタートアップ経営者には当てはまらない。リソースが欠乏した環境では、熱量は生存のための代替通貨として合理的に機能するからだ。
「情熱」と「学習」を組み合わせる仕組みを作ろう
ここまで読んで思い当たる節があるなら、まず自社の新規事業制度における評価基準を確認してほしい。「想い」「情熱」「原体験」だけが評価項目になっていたら、それに「検証回数」「ピボット回数」「反証データの数」を加えることを提案する。この一手だけで、事業案の質は劇的に変わる。
情熱は否定しない。ただし、情熱は事業の「起点」であって「唯一の評価基準」ではない。大企業に必要なのは、個人の熱量を活かしつつも、それに依存しない再現性のある事業創出の仕組みだ。INNOVATION VOYAGEの「事業創出の原則」カテゴリでは、新規事業が立ち上がる条件と頓挫するメカニズムを構造的に分析している。合わせて読むと、事業創出の成功条件がより立体的に見えてくる。
関連するインサイト
イノベーションの構造的理解については「イノベーションを構造から理解する――定義・失敗の原因・成功の条件を徹底解説」で体系的に解説している。
参考文献
- 土屋哲雄『ワークマン式「しない経営」——4000億円の空白市場を切り拓いた秘密』ダイヤモンド社(2020年)
- Daniel Kahneman, Thinking, Fast and Slow, Farrar, Straus and Giroux (2011)(邦訳:『ファスト&スロー』早川書房)
- Saras D. Sarasvathy, Effectuation: Elements of Entrepreneurial Expertise, Edward Elgar (2008)
INNOVATION VOYAGE 編集部
関連記事
原則
破壊的イノベーション vs 持続的イノベーション:クリステンセン理論の正しい使い方
「破壊的イノベーション」の誤用が蔓延している。Christensenの原理論に立ち返り、ローエンド型と新市場型の違い、最新の批判と反論を整理する。
2026年4月5日
原則
スケールアップの死の谷――PMF後に失速する構造的理由
プロダクト・マーケット・フィットを達成したはずなのに、スケールの段階で失速する。この「死の谷」はPMFとは別の構造的課題が原因だ。PMF後に待ち受ける組織・オペレーション・資本の三重の壁を解析する。
2026年4月1日
原則
CVC「戦略リターン」という幻想——財務リターンも戦略リターンも出ない構造的理由
日本企業のCVC(コーポレート・ベンチャーキャピタル)が掲げる「戦略リターン」は、測定不能なまま放置されている。財務と戦略の二兎を追い、両方を逃す構造を分析する。
2026年3月20日