リアルオプション理論で新規事業の予算を獲得する——PL脳を超える説明の技術
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リアルオプション理論で新規事業の予算を獲得する——PL脳を超える説明の技術

新規事業の価値は単年度のPLには現れない。リアル・オプション理論を使い、不確実性そのものを価値として説明する方法を解説する。

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「5年後の売上予測」を求められたときに必要な共通言語

新規事業の予算獲得において、担当者が最も頻繁に突きつけられる要求がある。「5年後の売上予測」「ROIの根拠」「いつ黒字化するのか」。CFOや経営企画部門がこれらを求めるのは、彼らの職責として当然である。しかし、不確実性の塊である新規事業に対して、既存事業と同じPL(損益計算書)ベースの説明を求めることは、構造的に成立しにくい要求だ。

多くの担当者が、鉛筆を舐めて根拠のないExcelシートを作成し、お互いに「仮の数字」を前提とした議論を行っている。ある調査によれば、新規事業の5年後売上予測の的中率は10%以下である。この精度の低い予測の作成に費やされる時間と知的リソースは膨大だが、事業の成否には寄与しない。

問題はCFOの姿勢ではない。新規事業を説明する「共通言語」が組織に存在しないことだ。PL脳を批判するのではなく、PL脳の人間が理解できる別のロジックで語る——それが唯一の突破口になる。

鉛筆を舐めたExcelで3回玉砕した経験

筆者はかつて、大手サービス企業の新規事業担当として、3度にわたり予算獲得に失敗した経験がある。1度目は「市場が大きいから儲かる」というTAM論法で挑み、「その巨大市場で当社が取れるシェアの根拠は?」と一蹴された。2度目は5年間のPL予測を精緻に作り込んだが、「3年目に黒字化する根拠が薄い」と却下された。正直に言えば、3年目どころか1年目の数字すら確信がなかった。

3度目に、ある金融出身の先輩から「オプション理論で説明してみろ」と助言を受けた。新規事業の検証費用を「コスト」ではなく「将来の巨大市場へのアクセス権を購入するオプション料」と再定義したところ、CFOの反応が劇的に変わった。「それなら、いくらまでのオプション料なら許容できるか」という、建設的な議論が初めて成立したのである。

リアル・オプション理論がもたらす3つの視点転換

「コスト」ではなく「オプション料」として定義する

新規事業の検証費用は、消えてなくなる経費ではない。将来の不確実な巨大市場へのアクセス権を購入するための「オプション料(プレミアム)」である。金融オプションと同じく、この権利は行使も放棄もできる。検証の結果うまくいきそうなら追加投資(権利行使)し、見込みがなければ即座に撤退(権利放棄)する。損失はオプション料に限定され、致命的な深手を負わない。

「撤退」を「賢明な権利行使判断」と再定義する

通常の投資プロジェクトは、一度走り出したら止まれない「特急列車」だ。サンクコストが撤退判断を遅らせ、赤字を垂れ流す。一方、リアル・オプション思考では、撤退は「これ以上の損失を防いだ、経済的価値のある行為」と定義される。「失敗した」のではなく「追加投資しないという正しい判断をした」——この再定義こそが、CFOと現場の共通言語になる。

「打率」ではなく「ポートフォリオ」で考える

リアル・オプションの真骨頂は非対称性にある。損失は限定的(オプション料分のみ)だが、利益は青天井だ。この条件下で正しい戦略は、一つの成功率を上げることではなく、安価なオプション(挑戦の数)を大量に購入し、ブラックスワン(大化けする事業)を捕まえるポートフォリオを組むことである。これが「多産多死」の財務的正当化ロジックだ。

来週の経営会議で使える「説明の型」

リアル・オプション理論を実務に適用するには、以下の手順で準備する。 まず、検証費用の総額を「オプション料」として明示する。 「本プロジェクトに必要な検証費用は2,000万円です。これは、3年後に推定100億円規模の市場へのアクセス権を購入するオプション料です」と説明する。

撤退基準を事前に定義する。 「6ヶ月後の検証結果が以下の基準を満たさなかった場合、追加投資を行わず権利を放棄します」と撤退ラインを明示する。CFOが最も恐れるのは「撤退できないプロジェクト」だ。出口を事前に設計することで、承認のハードルが下がる。

ポートフォリオ全体のリターンで語る。 個別案件の成功確率ではなく、「10件のオプションのうち1件が成功すれば、投資総額の10倍以上のリターンが見込める」というポートフォリオ全体の期待値で説明する。

この手法を最も必要としている人

本記事が最も価値を持つのは、以下の状況にある人だ。 予算獲得の場で「5年後の売上予測」を求められ、根拠のないExcelを作成している新規事業担当者。 リアル・オプションの枠組みを使えば、不確実性を「価値」として説明できるようになる。

新規事業予算の「費用対効果」を問われて返答に窮しているイノベーション推進部門の管理職。 オプション理論ベースの説明ロジックを持つことで、経営層との対話の質が変わる。

新規事業プロジェクトの撤退判断に苦慮しているCFO・経営企画部門。 撤退を「失敗」ではなく「賢明な判断」と位置づける枠組みがあれば、サンクコストの呪縛から組織を解放できる。すでにオプション理論やポートフォリオ思考で新規事業を管理している企業には、本記事は該当しない。

まず「撤退基準」を1つだけ設定しよう

リアル・オプション思考の導入は、小さな一歩から始まる。現在進行中の新規事業プロジェクトに、「この条件を満たさなければ撤退する」という定量的な基準を1つだけ設定してほしい。「3ヶ月以内に有料顧客を5社獲得できなければ撤退」——このくらいシンプルでいい。

この基準があるだけで、「だらだら続くゾンビ事業」を防ぎ、リソースを次の挑戦に振り向けられる。INNOVATION VOYAGEの「事業創出の原則」カテゴリでは、新規事業の成功条件と頓挫のメカニズムを多角的に分析している。予算の問題以外にも構造的な課題が存在するため、合わせて読んでほしい。


関連するインサイト

イノベーションの構造的理解については「イノベーションを構造から理解する――定義・失敗の原因・成功の条件を徹底解説」で体系的に解説している。


参考文献

  • Aswath Damodaran, Investment Valuation: Tools and Techniques for Determining the Value of Any Asset, 3rd ed., Wiley (2012)
  • Timothy A. Luehrman, “Investment Opportunities as Real Options: Getting Started on the Numbers,” Harvard Business Review (1998)
  • 田所雅之『起業の科学 スタートアップサイエンス』日経BP(2017年)

INNOVATION VOYAGE 編集部

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