社会起点イノベーションを事業化する条件——理想と収益を同時設計する方法
原則

社会起点イノベーションを事業化する条件——理想と収益を同時設計する方法

「社会課題の解決」を掲げるイノベーション施策が壮大なビジョンのまま事業化しない構造を分析し、理想と収益の同時設計アプローチを解説する。

社会起点 パーパス経営 新産業共創 ビジネスモデル 理想先行

「100個の新産業を共創する」構想を事業に変えるには

「社会起点で理想の未来から逆算する」「企業の枠を超えて新産業を共創する」「パーパスドリブンの価値創造」。近年、社会課題の解決を掲げるイノベーション施策が増えている。SDGsとの接続を謳い、複数の企業やセクターが連携して「新しい産業」そのものを作ろうとする壮大な構想だ。理念としては美しい。

しかし、一つだけ確認したい。 その「新産業」から、実際に収益を生む事業がいくつ生まれたか。 構想の壮大さとプレスリリースの本数は豊富だが、黒字で自走する事業が何件あるかを問うと、回答が極めて少なくなる。

社会課題の解決は重要だ。ただし、「社会を変える」というビジョンの大きさが、「金を稼ぐ」という事業の基本から目を逸らす免罪符になっていないか。経済合理性のない善意は持続しない。

「未来構想ワークショップ」を50回開催した企業の現在地

筆者が知るある大手化学メーカーでは、外部のイノベーションファシリテーターと連携し、3年間で50回以上の「未来構想ワークショップ」を開催した。テーマは「2050年の食の未来」「サーキュラーエコノミーの実現」「ウェルビーイング社会の構築」。参加者は社内外から延べ1,000人を超え、生まれたビジョンステートメントは30本以上。フューチャーボードには美しい未来の姿が描かれ、リビングラボでは異業種のプロフェッショナルが対話を重ねた。

しかし、3年目の決算期に経営陣から問われたのはシンプルな一言だった。「この活動から、来期のPLに貢献する事業はあるのか」。答えはノーだった。30本のビジョンステートメントのうち、具体的なビジネスモデルにまで落とし込まれたものは2本。その2本も、顧客の支払意思を検証する段階には至っていなかった。

理想先行型が事業化に至らない3つの構造的断絶

「誰が金を払うか」が最後まで定義されない

社会起点のアプローチでは、まず「あるべき未来」が定義され、そこからバックキャストして必要な技術やサービスが導出される。プロセスとしては論理的だ。しかし、「あるべき未来」の中に「誰がいくら払うか」が含まれていないケースが圧倒的に多い。「食品ロスをゼロにする」というビジョンは正しいが、「食品ロスをゼロにするサービスに月額いくら払う顧客が何人いるか」はまったく別の問いだ。この問いを後回しにするほど、プロジェクトは「美しいコンセプト」の状態で長期間停滞する。ピーター・ティールの指摘通り、収益構造を伴わないビジョンは、永遠にボランティアかアートのままだ。

「マルチステークホルダー」の合意形成が意思決定速度を下げる

新産業共創を掲げるプロジェクトには、複数の企業、大学、自治体、NPOが参加する。多様な視点が集まることは理論上は強みだが、実務上は意思決定の大幅な遅延を招く。各参加者の利害関係、予算承認プロセス、コンプライアンス基準が異なるため、一つのアクションを起こすのに複数組織の合意が必要になる。あるコンソーシアムでは、プロトタイプの予算50万円の承認に、3つの組織の決裁を経て2ヶ月を要した。スタートアップが1日で判断することに2ヶ月かかる。この速度では、市場の変化に追いつけない。

「社会課題」の大きさが撤退判断を困難にする

「食の未来」「環境問題」「ウェルビーイング」。これらのテーマは、本質的に「もう取り組む価値がない」と判断することが心理的に困難だ。「社会のために必要なことだから」という大義名分が、冷静な撤退判断を妨げる。結果として、事業化の見込みがないプロジェクトが「社会的意義がある」という理由で延命される。リアル・オプション理論における「権利放棄」が機能せず、リソースがゾンビプロジェクトにロックされ続ける。社会課題の解決と、個別プロジェクトの継続是非は、分離して判断すべきだ。

「理想」と「収益」を同時設計する3つのアプローチ

社会起点のビジョンを否定する必要はない。ただし、収益モデルとの同時設計が不可欠だ。 まず、ビジョン策定の初日から「課金モデル」を問う。 「あるべき未来」のワークショップの最後に、必ず「この価値に誰がいくら払うか」を議題に加える。この問いが答えられない場合、プロジェクトではなくリサーチとして位置づけ、投入リソースを限定する。

コンソーシアムの意思決定を「リード企業1社」に一元化する。 複数組織のフラットな合議制は、意思決定速度を大幅に低下させる。1社が主導権を握り、他の参加者は「アドバイザリー」として関与する構造に変える。リード企業がリスクとリターンの大半を負う代わりに、判断の速度を確保する。

「撤退基準」を社会課題の大義とは切り離して設定する。 「6ヶ月以内に有料顧客が5社に満たなければ、このアプローチは中止する」という定量的な撤退基準を、プロジェクト開始前に全参加者で合意する。社会課題への取り組みは続けるが、事業としてのアプローチは変更する——この分離がゾンビ化を防ぐ。

「ビジョンは壮大だが売上がゼロ」のプロジェクトに関わっている人

本記事が特に有用なのは、以下の状況にある人だ。

社会起点の新産業共創プロジェクトに参加しているが、3年目になっても具体的な事業が立ち上がっていない担当者。 ビジョンの質ではなく、収益モデルの不在が停滞の根本原因かもしれない。

「SDGs」「パーパス」を掲げた新規事業プログラムのROIを経営層から問われて回答に窮している事務局。 社会的意義を否定するのではなく、意義と収益の両立を設計する枠組みとして本記事を活用できる。

マルチステークホルダーの協議体の運営に疲弊している事業開発部門。 合意形成コストが事業推進速度を上回っていないかを点検し、意思決定構造の再設計を検討する契機になる。パーパスと収益モデルを同時に設計し、明確な撤退基準を持って社会起点プロジェクトを運営している組織には、本記事は該当しない。

まず「誰がいくら払うか」を1文で書いてみよ

現在進行中の社会起点プロジェクトについて、「このサービスに対して、[誰]が[いくら]を[いつ]支払う」を1文で書いてみてほしい。この1文が書けないなら、そのプロジェクトはまだ「事業」ではなく「構想」の段階にある。構想を事業に変えるには、この1文を書くことが最初の一歩だ。INNOVATION VOYAGEの「事業創出の原則」カテゴリでは、社会起点以外にも新規事業が頓挫する構造的パターンを分析している。多角的に理解することで、プロジェクトの設計精度が上がる。


関連するインサイト

イノベーションの構造的理解については「イノベーションを構造から理解する――定義・失敗の原因・成功の条件を徹底解説」で体系的に解説している。


参考文献

  • Peter Thiel with Blake Masters, Zero to One: Notes on Startups, or How to Build the Future, Crown Business (2014)(邦訳:『ゼロ・トゥ・ワン』NHK出版)
  • Timothy A. Luehrman, “Investment Opportunities as Real Options: Getting Started on the Numbers,” Harvard Business Review (1998)
  • 経済産業省「SDGs経営ガイド」(2019年)

INNOVATION VOYAGE 編集部

関連記事