GLOSSARY

両利きの経営

読み: りょうききのけいえい

既存事業の深化(Exploitation)と新規事業の探索(Exploration)を同時に追求する経営戦略。Charles A. O'Reilly IIIとMichael L. Tushmanが体系化した概念で、原語は "Organizational Ambidexterity"。

「深化」と「探索」の同時追求が、なぜこれほど難しいのか

両利きの経営(Organizational Ambidexterity)とは、 既存事業の深化(Exploitation)と新規事業の探索(Exploration)を組織的に両立させる経営戦略 である。スタンフォード大学のCharles A. O’Reilly IIIとハーバード・ビジネス・スクールのMichael L. Tushmanが2004年の論文 “The Ambidextrous Organization” で体系化し、2016年の著書 Lead and Disrupt で実務への適用を詳述した。

概念としては明快だ。右手で今日の利益を稼ぎ、左手で明日の事業を育てる。だが実装は極めて難しく、 この言葉を掲げている日本企業の大半が「深化」に偏っている のが実態だ。James Marchが1991年の論文で指摘した通り、組織は本質的に探索より深化を好む。成果が見えやすく、リスクが低く、短期的なリターンが確実だからだ。深化に傾くのは、ある意味で当然の帰結だ。

概念の起源と理論的背景

両利きの経営の理論的ルーツは、 James Marchの1991年の論文 “Exploration and Exploitation in Organizational Learning”Organization Science)に遡る。Marchは、組織が長期的に生存するためには探索(Exploration)と深化(Exploitation)の両方が不可欠だが、両者はリソースを奪い合う関係にあると指摘した。

O’ReillyとTushmanは、この理論的枠組みを経営実務に翻訳した。彼らの主要な貢献は、 「構造的分離」というソリューション の提示だ。探索ユニットと深化ユニットを組織的に分離しつつ、経営トップのレベルで統合する。

分離されていなければ既存事業の論理が新規事業を圧殺し、統合されていなければ新規事業は本体のアセットを活用できない。

3つの実装モデル

構造的分離型(Structural Ambidexterity)

探索と深化を別組織として分離する最も一般的なモデル。新規事業部門を独立させ、独自のKPI、評価制度、意思決定プロセスを持たせる。 経営トップが両方の組織を直接管理し、必要に応じてリソースを配分する。 日本企業の「出島戦略」はこのモデルの一種だ。

メリットは明確で、探索ユニットが既存事業の論理に潰されるリスクが低い。デメリットは、分離しすぎると本体とのシナジーが生まれず、「動物園」化するリスクがある点だ。

時間的分離型(Temporal Ambidexterity)

同じ組織が時期によって探索と深化を切り替えるモデル。四半期の一定期間を探索に充てるなど、時間軸で分離する。 リソースが限られた組織に適するが、切り替えのコストが高い。 3MのかつてのR&D時間配分がこのモデルに近い。

文脈型(Contextual Ambidexterity)

組織構造ではなく、個人の判断に探索と深化の切り替えを委ねるモデル。Julian BirkinshawとCristina Gibsonが2004年に提唱した。 各メンバーが「今日は深化、明日は探索」を自律的に判断する。 組織文化の成熟度が極めて高い場合にのみ機能する。

日本企業での誤用パターン

「両利きの経営」は日本でベストセラーになり、経営会議で頻繁に引用される概念となった。しかし、概念の受容と実装には大きなギャップがある。

第一の誤用:「探索」を既存事業の延長線上に限定する。 「両利きだから新しいこともやる」と言いつつ、隣接市場への進出や既存製品の新用途開発にとどまるケースが多い。これは「深化の範囲を広げた」だけであり、Marchが言う「探索」ではない。

第二の誤用:構造的分離をせずに探索を命じる。 既存事業部門の中に新規事業チームを置き、同じ上司、同じKPI、同じ評価制度で「探索しろ」と命じる。「カイゼン」のOSでは「ゼロイチ」が生まれない理由で分析されている問題がまさにこれだ。

第三の誤用:経営トップの統合機能が欠如している。 探索ユニットを分離したものの、経営トップが深化ユニットにしか目を向けない。結果、探索ユニットは予算削減の最初の候補になり、形骸化する。

両利きの経営を機能させる条件

O’ReillyとTushmanの研究が示す成功条件は3つだ。 経営トップの明確なコミットメント、構造的な分離と戦略的な統合の両立、探索ユニット固有の評価制度の導入。 このうち1つでも欠ければ、両利きの経営は名ばかりの看板に終わる。

概念を知ることと実装することは別物だ。「うちは両利きの経営を目指している」と語る企業に問いたい。 探索ユニットの予算は、既存事業の業績悪化時にも保護されているか。

答えがNoなら、それは両利きではなく片利きだ。

組織の免疫機能が新規事業を排除する構造は「組織の免疫システムがイノベーションを排除する構造」で、大企業の新規事業の構造的な失敗要因は「大企業の新規事業を成功に導く3つの構造条件」で解説している。


参考文献

  • March, J. G. “Exploration and Exploitation in Organizational Learning,” Organization Science, Vol.2, No.1, pp.71-87 (1991)
  • O’Reilly III, C. A. & Tushman, M. L. “The Ambidextrous Organization,” Harvard Business Review (April 2004)
  • O’Reilly III, C. A. & Tushman, M. L. Lead and Disrupt: How to Solve the Innovator’s Dilemma, Stanford Business Books (2016)(邦訳:入山章栄監訳・渡部典子訳『両利きの経営』東洋経済新報社, 2019年)
  • Birkinshaw, J. & Gibson, C. “Building Ambidexterity into an Organization,” MIT Sloan Management Review, Vol.45, No.4, pp.47-55 (2004)

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