組織のアンビデクストリティとは何か
組織のアンビデクストリティ(Organizational Ambidexterity)とは、 既存事業の「深化(Exploitation)」と新規事業の「探索(Exploration)」を組織として同時に追求する能力 だ。日本語では「両利きの経営」として広く知られる。
「アンビデクストリティ(Ambidexterity)」は英語で「両手利き(右手でも左手でも同等に使える)」を意味する。組織論においては、相反する論理——効率性の深化と実験的な探索——を同一組織が使いこなす能力を指す。
理論的ルーツはJames Marchの1991年の論文 “Exploration and Exploitation in Organizational Learning”(Organization Science)に遡る。Marchは、組織が短期的成果(深化)と長期的生存(探索)のトレードオフをどう管理するかという問いを立てた。この問いに対して構造的な解を提示したのが、スタンフォード大学のCharles A. O’Reilly IIIとハーバード・ビジネス・スクールのMichael L. Tushmanだ。
3つの実装モデル
組織のアンビデクストリティを実現する方法は、研究上3つのモデルに類型化されている。
構造的アンビデクストリティ(Structural Ambidexterity)は、探索と深化を別の組織単位として分離するモデルだ。探索ユニット固有のKPI・評価制度・採用基準を設定し、経営トップレベルで統合する。 組織図上の分離と意思決定プロセスの独立が同時に設計される必要がある。 日本企業で「出島組織」と呼ばれる取り組みはこのモデルの一形態だ。
時間的アンビデクストリティ(Temporal Ambidexterity)は、同一組織が時間軸で探索と深化を切り替えるモデルだ。四半期や事業フェーズによって、組織の重点を意図的に移動させる。リソースが限られた組織に適するが、切り替えコストが高い。
文脈的アンビデクストリティ(Contextual Ambidexterity)は、Julian BirkinshawとCristina Gibsonが2004年に提唱したモデルで、個々のメンバーが自律的に探索と深化を判断する。組織文化と個人の能力の双方に高い成熟度を要求する。
深化に偏る「組織の自然な傾向」
アンビデクストリティが難しい本質的な理由は、組織が本性として深化を好むことにある。Marchが指摘したように、深化は成果が見えやすく、リスクが低く、短期のリターンが確実だ。評価制度・予算配分・経営会議の議題——組織の仕組みはほぼ例外なく深化に最適化されている。
探索への投資は不確実で、成果が出るまでに数年を要し、失敗のリスクが高い。 この非対称性の中で、探索を組織として継続するためには、意図的な制度設計が必要だ。「文化として探索を促す」という発想だけでは、深化の論理に探索は飲み込まれる。
日本における「両利きの経営」の受容と誤用
O’ReillyとTushmanの著書(2016年)の邦訳が2019年に出版されて以降、「両利きの経営」は日本企業の経営戦略論議で頻繁に引用される概念となった。しかし概念の普及と実装の進捗は大きく乖離している。
最も多い誤用は、 探索ユニットを形式的に設置しながら、評価制度・予算配分・人事ローテーションを変えないこと だ。組織図に「探索ユニット」が存在しても、メンバーが3年後に元の部署に戻ることが前提で、評価基準が既存事業と同一であれば、探索は起きない。形式と実質の乖離を識別する基準については「両利きの経営が失敗する5つの構造的要因」で詳しく分析している。
アンビデクストリティと「両利きの経営」の用語関係
「組織のアンビデクストリティ」と「両利きの経営」は実質的に同じ概念を指す。前者が学術的な原語(Organizational Ambidexterity)であり、後者はO’ReillyとTushmanの書籍タイトル(Lead and Disrupt)の邦訳タイトルに由来する。 学術論文では「アンビデクストリティ」、経営実務の文脈では「両利きの経営」が使われることが多い。
両利きの経営の基本的な概念と実装モデルについては「両利きの経営」の用語解説も参照してほしい。
参考文献
- March, J. G. “Exploration and Exploitation in Organizational Learning,” Organization Science, Vol.2, No.1, pp.71-87 (1991)
- O’Reilly III, C. A. & Tushman, M. L. “The Ambidextrous Organization,” Harvard Business Review (April 2004)
- O’Reilly III, C. A. & Tushman, M. L. Lead and Disrupt: How to Solve the Innovator’s Dilemma, Stanford Business Books (2016)(邦訳:入山章栄監訳・渡部典子訳『両利きの経営』東洋経済新報社, 2019年)
- Birkinshaw, J. & Gibson, C. “Building Ambidexterity into an Organization,” MIT Sloan Management Review, Vol.45, No.4, pp.47-55 (2004)