両利経営の組織構造——探索と深化の分離設計
組織設計

両利経営の組織構造——探索と深化の分離設計

O'Reilly & Tushmanの「構造的両利性(Structural Ambidexterity)」モデルを日本企業に実装する設計論。JR東日本・Sony・東芝の事例で「なぜ失敗するのか」を掘り下げ、探索と深化を機能させる分離設計の核心を明らかにする。

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「両利き」は組織設計の問題だ

「うちは両利経営をやっています」と言う経営者に、筆者はいくつかの質問を返すことにしている。

「探索ユニットの人材評価は、既存事業の評価基準と完全に分離されていますか?」「探索ユニットのリーダーは、既存事業との兼任ではなく専任ですか?」「探索ユニットの予算は、既存事業の業績が悪化した際にも削減されないルールが存在しますか?」

多くの場合、答えは曖昧になる。あるいは、「理想はそうだが、現実的には難しい」という回答が返ってくる。

この答えが示しているのは、「両利経営を志向している」ことと「両利経営が機能する組織を設計した」ことは、まったく別の状態だということだ。チャールズ・オライリー(Charles A. O’Reilly III)とマイケル・タッシュマン(Michael L. Tushman)が2004年のHarvard Business Review論文「The Ambidextrous Organization」で提唱したモデルの核心は、探索(Exploration)と深化(Exploitation)を組織的に分離し、トップマネジメントが統合する構造的な設計にある。「マインドセットの変革」では解決しない問題だ。

O’Reilly & Tushmanモデルの理論的基盤

探索と深化の本質的な非両立性

ジェームズ・マーチ(James G. March)が1991年の論文「Exploration and Exploitation in Organizational Learning」(Organization Science)で指摘したのは、探索と深化が組織資源をめぐる根本的な競合関係にあるという事実だ。

深化は短期的・確実な収益を生む。既存の能力を磨けば磨くほど、効率は上がり収益は増える。一方、探索は短期的に非効率であり、成果が出るかどうかも不確実だ。組織が資源配分の圧力に直面すると——それは不況期でも好況期の「稼げる事業への集中」でも同じだ——深化に資源が流れ、探索が枯渇する。

この傾向に対する組織設計上の回答が、オライリーとタッシュマンの「構造的両利性(Structural Ambidexterity)」モデルだ。探索ユニットを深化ユニットから物理的・組織的に分離し、探索ユニットには独自の文化・プロセス・評価基準を設ける。そして両者の統合はトップマネジメントが担う——という三層構造だ。

4つの両利性モデル

オライリーとタッシュマンは、企業が両利性を実現する組織形態として4つを識別している。

①分離型(Separated): 探索ユニットを組織的に完全分離する(子会社・分社化)。最も強い分離だが、統合の難度も高い。

②交互型(Sequential): 組織全体が探索フェーズと深化フェーズを時系列で切り替える。特定の技術的不連続期に有効だが、継続的なイノベーションには不向きだ。

③コンテクスチュアル型(Contextual): 個人レベルで探索と深化を切り替える能力を組織が育成する。高い人材密度が必要で、スケールしにくい。

④構造的両利型(Structural): 探索と深化の専門ユニットを並存させ、トップマネジメントが統合する。オライリーとタッシュマンが最も実証的な裏付けがあると主張するモデルだ。

構造的分離の設計原則

分離の5条件

構造的な分離が「名前だけの分離」に終わらないために、5つの条件を設計に組み込む必要がある。

条件1:予算の独立性。 探索ユニットの予算は、既存事業のP&Lとは独立した予算ラインを持ち、既存事業の業績に連動して削減されるルールを持たない。予算の独立性がなければ、不況期に探索ユニットは真っ先に削られる。

条件2:人材の専任性。 探索ユニットのリーダーと中核メンバーは、既存事業との兼任ではなく専任とする。兼任体制では、既存事業の「緊急の優先事項」が探索業務を常に押し退ける。

条件3:評価基準の分離。 探索ユニットの評価は「検証された学習量と学習速度」を主軸とし、短期ROIや既存事業の業績指標を適用しない。イノベーション・アカウンティングの考え方をそのまま評価体系に組み込む。

条件4:意思決定ルートの分離。 探索ユニットが必要とする意思決定(顧客との実験の実施、予算の小額追加など)は、既存事業の稟議ラインを通らずに実行できるルートを持つ。既存事業の承認ループに巻き込まれた探索ユニットは、検証速度が深化ユニットのリズムに引きずられ、アジリティを失う。

条件5:物理的・心理的分離。 同じフロアの同じデスクで「探索をやれ」と言っても、探索は起きない。別フロア・別オフィス・リモートワーク比率の違いなど、物理的な分離が心理的な役割認識の分離を助ける。

トップマネジメントの統合機能

分離だけでは不十分だ。探索と深化が完全に分離されたままでは、探索ユニットが開発した新技術や新市場の知見が既存事業に還流しない。オライリーとタッシュマンが強調する「トップマネジメントによる統合」の役割は、3つの機能からなる。

第一に、両者のビジョンの共有。 探索ユニットが「なぜ存在するのか」「どんな事業の未来のために動いているのか」を、深化ユニットを含む全社が共有するビジョンに埋め込む。これがなければ、深化ユニットは探索ユニットを「リソースを食うだけの遊び場」と認識する。

第二に、境界橋渡し役(Boundary Spanners)の確保。 探索ユニットと深化ユニットの双方を熟知し、両者の間で知識・技術・人材を移送できる人材を意図的に育成・配置する。この役割は自然発生的には現れない。

第三に、探索ユニットの政治的保護。 既存事業を担う深化ユニットは、組織内の政治力において多くの場合、探索ユニットを大幅に上回る。短期業績への貢献が明確な深化ユニットが、「非生産的に見える」探索ユニットへのリソース配分に反発することは予測可能だ。トップマネジメントが探索ユニットを「政治的に守る」コミットメントを維持できるかどうかが、両利経営の成否を分ける隠れた要因だ。

日本企業3事例:なぜ失敗するのか

JR東日本——「Suica経済圏」の成功と新規事業組織の制約

JR東日本はSuicaを核とした非鉄道収益の拡大に成功した。決済・流通・不動産など複数の周辺領域への展開は、既存のインフラ(駅・顧客接点・データ)を活用した「隣接領域への深化」として機能している。

しかし、この成功パターンが持つ逆説がある。Suica経済圏の拡大は「既存事業の優位性を活用した深化」であり、真の意味での探索(既存の顧客・技術・チャネルから切り離された新領域への進出)とは異なる。JR東日本がデジタル事業開発を進める際に直面する課題は、鉄道インフラ企業としての組織文化——長期計画・安全最優先・完成品主義——と、デジタルスタートアップ的な開発文化(実験・失敗・高速反復)の非両立性だ。

この構造を突破するには、デジタル探索ユニットを鉄道部門の承認ラインから完全に切り離し、シリコンバレー型の意思決定スピードで動ける体制を別途設けることが必要だ。既存事業の品質文化に守られながら探索しようとすること自体が矛盾を内包している。

Sony——CSLとSony Innovation Fundの構造的分離

Sonyは研究組織(Sony Computer Science Laboratories、CSL)と投資組織(Sony Innovation Fund)を保有しており、構造的両利性の形式的な条件を満たしている。しかし、内部から聞こえてくる課題の声は共通している。「CSLの成果が事業部門に降りてくるまでの時間が長すぎる」「Innovation Fundの投資先と既存事業部門の連携がほとんど機能していない」。

問題の核心は「境界橋渡し役(Boundary Spanners)」の機能不全だ。CSLと事業部門の間、Innovation Fundの投資先と事業部門の間で、知識・技術・人材を移送できる人材が体系的に育成されていない。探索ユニットと深化ユニットはそれぞれ優秀な人材を擁しているが、その間の接続が設計されていない。

実装示唆:構造的分離の設計と同時に、「統合のための接続設計」を具体的に行うことが必須だ。

東芝——破綻した分離設計の教訓

東芝の事例は、両利経営の失敗パターンのうち「トップマネジメントの政治的保護の崩壊」を示す。2010年代の東芝は、エネルギー・インフラ事業の巨大な損失(特に米原発事業ウェスチングハウスの会計問題)が表面化した際、探索ユニット(半導体・デジタル事業)への投資を縮小せざるを得ない状況に陥った。

既存の深化事業の危機が深まるにつれ、経営資源は「今すぐ損失を止める」ことに集中し、「未来の事業を探索する」ための分離されたユニットを守る政治的コミットメントは失われた。東芝のNANDフラッシュメモリ事業(後のキオクシア)が売却対象となったことは、探索と深化の統合失敗の最悪のシナリオを示している。

教訓:既存事業の危機が深まった時に探索ユニットを守れるかどうかが、両利経営の「実質」を問われる最大の試練だ。好況時に両利経営を宣言することは容易だが、不況時に探索への投資を維持できるかどうかが本物の試金石になる。

探索ユニットが失敗する5つの構造パターン

両利き組織の失敗分析と合わせて読むことを勧めるが、ここでは「分離設計が整っているにもかかわらず探索が失敗する」パターンに絞る。

パターン1:優秀な人材の「引き戻し」

探索ユニットの優秀な人材は、既存事業の人事部門から「戻ってきてほしい」という打診を受ける。既存事業でのキャリアパスの方が明確であり、短期的な人事評価との連動が強い。探索ユニットで成果を出した人材が、既存事業部門に引き抜かれる循環が起きると、探索ユニットは「優秀な人材が通過するトレーニングの場」に成り下がる。

対応策は、探索ユニットでのキャリアパスを具体的に設計することだ。「探索ユニットで○○の成果を出した人材は、事業化フェーズのリーダーとして既存事業を凌ぐ権限と報酬を持つ役職に就く」という具体的なルートがなければ、優秀な人材は探索ユニットに長く留まらない。

パターン2:探索の定義の漂流

設立当初は「根本から異なる事業領域を探索する」という目的を持っていた探索ユニットが、時間とともに「既存事業の隣接領域での効率化」を担う組織に変質する。これは既存事業部門からの「こういうことも手伝ってほしい」という小さな依頼の積み重ねで起きる。

探索ユニットのミッションを定期的(半年ごと)に「これは探索か、深化か」という基準で点検する仕組みを設けることが有効だ。ミッションの漂流は自覚なしに進行するため、外部からの定期評価が機能する。

パターン3:成果指標の「深化化」

探索ユニットに課される成果指標が、時間とともに「既存事業の指標」に近づく。売上目標、利益率目標、コスト削減目標——これらが探索ユニットの評価に組み込まれると、探索ユニットは短期的に成果を示せる活動(既存技術の応用、既存顧客への新サービス)に集中し、本来の長期的・不確実な探索から離れていく。

リアル・オプション予算設計の考え方と連動させ、探索ユニットの評価を「検証された仮説の数と質」「探索から生まれたオプション価値の推定額」に維持することが重要だ。

パターン4:探索ユニットのサイロ化

逆説的だが、分離が徹底しすぎると探索ユニットが完全なサイロになり、深化ユニットの顧客知識・技術資産・ブランド力を活用できなくなる。本来、大企業の探索ユニットがスタートアップに対して持つ優位性は、既存事業の顧客基盤・技術蓄積・ブランド認知だ。この優位性を活用しない探索ユニットは、スタートアップとほぼ同等の出発点から始まるにもかかわらず、大企業の意思決定の遅さというハンデを負う。

探索ユニットのKPIに「既存事業の資産(顧客リスト、技術ライセンス、販売チャネル)を活用した実験数」を含めることで、分離の中での「適度な統合」を設計できる。

パターン5:タイムホライズンのミスマッチ

深化ユニットは四半期・年度単位のサイクルで動く。探索ユニットの本来のタイムホライズンは3〜7年だ。しかし年度の予算審査で探索ユニットが「1年間で何を達成したか」を問われると、長期の探索活動を「年次成果」として切り取る歪みが生じる。

解決策は、探索ユニットに「フェーズマイルストーン」を設けることだ。「3年間で何を達成するか」のロードマップを定義し、年度の評価は「フェーズマイルストーンに向けた進捗率」として設計する。これにより、年度単位の評価圧力の中でも探索の長期視点を保つことができる。

実装ロードマップ:12ヶ月の設計工程

第1四半期:診断と設計

現状の組織設計を「探索と深化の分離度」として評価する診断を実施する。評価軸は、予算の独立性、人材の専任性、評価基準の分離度、意思決定ルートの分離度、物理的分離度の5つだ。それぞれを5段階で評価し、最も低いスコアの項目から改善設計に入る。

第2四半期:パイロット実装

診断で設計した分離条件を、1〜2つの探索プロジェクトでパイロット実施する。全社展開の前に小規模で動かし、組織的な抵抗の性質と強度を把握する。特に、既存事業部門からの「引き戻し圧力」の具体的な発生源と発生タイミングを記録する。

第3〜4四半期:全社設計と定着化

パイロットの学習を踏まえ、全社レベルの両利経営設計を確定する。探索ユニットのキャリアパス設計、評価基準の正式化、境界橋渡し役の人材育成プログラムの立ち上げを同時に進める。


両利経営は「どう組織を設計するか」の問題だ。マインドセットの変革では解決しない。探索ユニットが深化ユニットの論理に飲み込まれる構造がある限り、「両利き」は経営者の希望として語られるだけで、組織の現実にはならない。

イノベーション・ポートフォリオの動的リバランスと組み合わせることで、探索と深化のバランスを予算配分レベルで維持する仕組みを設計できる。

荒井宏之 / INNOVATION VOYAGE

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