ポートフォリオ計画の「絵」と実際の資源配分が乖離する
「H1(コア事業):H2(隣接事業):H3(変革的イノベーション)=70:20:10」というポートフォリオの比率を、経営会議で承認している企業は多い。McKinseyが普及させた「3ホライゾン・モデル」に基づくこの配分方針は、イノベーション投資を構造化する有効な枠組みとして広く参照されている。
しかし、年度末に実際の投資実績を集計すると、現実はほぼ例外なく「90:9:1」か、最悪の場合「99:1:0」になっている。H3(変革的イノベーション)への実際の資源配分がゼロに等しいという実態は、多くの企業の新規事業担当者が実感していることだ。
計画の比率と実際の配分比率の乖離は、意思の弱さや実行能力の問題ではない。 四半期業績の評価構造が、組織の意思決定を構造的に短期案件側へと引き寄せる力学が働いているからだ。この力学を「ポートフォリオ近視眼(Portfolio Myopia)」と呼ぶ。
なぜH3投資は予算執行の瞬間に消えるのか
年度初めの経営合宿でH3案件の予算を承認した企業が、3ヶ月後の四半期末に業績が計画を下回ったとき、何が起きるか。最初に「最適化」の対象になるのはH3の予算だ。
理由は明快だ。H3投資は今期の売上・利益に貢献しない。投資の成果が今期の業績に現れないならば、今期の業績改善のために転用しても今期の目標達成は優先される。しかし今期が終われば、またH3の予算を承認した計画に戻る——このサイクルが繰り返される。
Scott D. Anthonyらは2017年の著書『Dual Transformation』(Harvard Business Review Press)の中で、既存事業(Transformation A)と新規事業(Transformation B)を同一の資源配分ルールで評価することの危険性を指摘している。同じ物差しで測れば、今期成果の出るAが常にBに勝つ。
短期主義が発動する3つの組織メカニズム
メカニズム1:評価期間と投資回収期間のミスマッチ
事業部長やCEOの評価は、多くの場合1〜3年の業績に基づく。H3投資の回収期間は5〜15年だ。評価者の在任期間が投資の回収期間より短いという構造では、H3への投資を推進するインセンティブが機能しない。在任中に果実を刈り取れない投資を推進した経営者は、自分の評価が上がる前に異動・退任する。
これはいわゆる「エージェンシー問題」の一形態だ。株主の長期的な価値最大化と、経営者個人の短期的な業績評価の間のインセンティブ不一致が、H3投資を組織的に抑制する。
メカニズム2:資源配分の「安全な撤退」
H3案件が何の成果も出さないまま3年が経過したとき、担当役員は2つの選択肢を持つ。「継続投資して10年後の成果を待つ」か「撤退して今期の利益に計上する」かだ。
「継続投資」の結果は不確実だが、「撤退」の結果は確実に短期的なポジティブインパクトをもたらす。未使用の開発費が利益改善として報告できる。CFOからの評価も上がる。次の予算査定でも「無駄遣いを止めた」として肯定的に評価される。このインセンティブ構造が、H3投資の系統的な撤退を生む。
メカニズム3:「失敗コスト」の非対称性
H3投資が失敗した場合、その担当者は「多額の資金を無駄にした責任者」として評価される。しかしH3投資に挑戦しなかった場合、「将来の事業機会を逃した機会損失」は誰の責任にも問われない。
失敗の可視性(コスト)と不作為の非可視性(機会損失)の非対称性が、組織の意思決定を「やらない」方向へ体系的に傾ける。Clayton Christensenが『イノベーターのジレンマ』(1997)で指摘した「優良企業ほどディスラプションに対応できない」という逆説の根本にある、この非対称な意思決定インセンティブだ。
ポートフォリオ近視眼の帰結:コア事業への過剰集中
短期主義が進行すると、ポートフォリオは「H1の改善・拡大」に過剰集中する。既存顧客向けの既存製品を、既存チャネルで、既存の価格帯で提供することに資源のほぼ全てが配分される。
この状態が継続する帰結は2つだ。第一に、コア事業の市場が飽和・縮小した際の代替事業が存在しない。第二に、隣接市場や新規市場でのポジショニングが確立される前に競合他社(既存大企業またはスタートアップ)に先行される。
写真フィルム市場を支配していたコダックが、デジタル写真への移行で衰退した経緯は典型例だ。 コダックはデジタルカメラを1975年に内部で発明しながら、フィルム事業の収益性を守るために商品化を後回しにし続けた。コア事業への過剰集中が、自社で生み出したイノベーションの商業化を遅らせた。
3ホライゾン・モデルの「使い方の誤り」
McKinseyの3ホライゾン・モデルが誤用される最大の原因は、3つのホライゾンを「時間軸」ではなく「投資の性質」として設計していないことだ。
H1・H2・H3を「短期・中期・長期」と解釈すると、H3は「いつかやる未来の投資」になる。計画上の比率を決めても、今期の予算執行では常に後回しになる。
Steve BlankとBob Dorfが2012年に示した「スタートアップ・オーナーズマニュアル」の知見、そしてAnthony et al.(2017)の『Dual Transformation』が示す処方箋は共通している。H3(探索型)の組織・予算・評価基準を、H1(活用型)から構造的に分離することだ。同じ評価ルール・同じ予算プロセス・同じ報告ラインで管理する限り、H3は常にH1に負ける。
ポートフォリオ近視眼を防ぐ3つの設計変更
第一の設計変更は、H3予算の「聖域化」だ。 年度計画でH3に割り当てた予算を、四半期業績の調整対象から除外するルールを明文化する。業績が未達でも転用できない「ロック予算」として設計することで、短期業績圧力からH3投資を物理的に切り離す。
第二の設計変更は、H3案件の評価指標を「学習の進捗」に切り替えることだ。 売上・利益という財務指標ではなく、「仮説検証の件数」「顧客インタビューの数」「ピボット回数」「市場検証の確信度」を評価指標に設定する。財務指標で評価される限り、H3案件は初期に必ず「赤字で無駄」に見える。
第三の設計変更は、H3担当者の人事評価を分離することだ。 H3案件の担当者をH1事業の業績評価ラインから外し、「5年後の事業化確率」と「学習速度」で評価する別系統の人事制度を設計する。Charles A. O’Reillyとマイケル・タッシュマンが『両利きの経営』(2016)で示した「両利き組織の構造」の核心はここにある。探索(Explore)と活用(Exploit)は、同一の評価軸では共存できない。
このインサイトが特に有用な人
「70:20:10」の配分方針を決めたが、実態がH1への集中に戻っていることに気づいている経営企画・事業開発担当者。 意思や熱量の問題ではなく、評価・予算の構造が配分を歪めているという認識が、次の打ち手を変える。
H3案件を担当しているが、毎年度末の予算査定で予算削減を繰り返されている新規事業担当者。 自分のプロジェクトが削られる構造的な理由を理解することは、組織内での提案戦略を変える出発点になる。
イノベーション投資のROIを問われているが、H3案件の価値を財務的に説明できずに苦慮しているCFO・IR担当者。 H3への評価指標を財務から学習の進捗に転換することで、投資家・経営陣との対話の枠組みが変わる。
関連するインサイト
参考文献
- Anthony, S.D., Gilbert, C.G. & Johnson, M.W. Dual Transformation: How to Reposition Today’s Business While Creating the Future, Harvard Business Review Press (2017)
- O’Reilly, C.A. & Tushman, M.L. Lead and Disrupt: How to Solve the Innovator’s Dilemma, Stanford Business Books (2016)(邦訳:『両利きの経営』東洋経済新報社)
- Christensen, C.M. The Innovator’s Dilemma: When New Technologies Cause Great Firms to Fail, Harvard Business School Press (1997)
- Baghai, M., Coley, S. & White, D. The Alchemy of Growth: Practical Insights for Building the Enduring Enterprise, Perseus Books (1999)(McKinsey 3ホライゾン・モデルの出典)
- Blank, S. & Dorf, B. The Startup Owner’s Manual: The Step-by-Step Guide for Building a Great Company, K&S Ranch (2012)
荒井宏之 / INNOVATION VOYAGE
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