「良いガバナンス」がイノベーションを殺すとき
2015年以降、日本企業は急速に社外取締役の比率を引き上げてきた。コーポレートガバナンス・コードの適用開始を機に、東証1部上場企業の多くが社外取締役を複数名選任し、独立取締役による監視機能の強化を進めた。この流れは「良いガバナンス」の実践として歓迎された。
しかし、ガバナンス改革の結果として起きたことは、必ずしも期待通りではなかった。変わったのは監視の厳格さではなく、取締役会が許容するリスクの水準だった。承認が出やすいのは実績のある領域への投資であり、前例のない事業機会への本格的な資源配分は困難になっていった。
この傾向は、日本に固有の現象ではない。
Balsmeier・Fleming・Manso(2017)の研究が示すこと
ハーバード大学のBenjamin Balsmeier、Lee Fleming、Gustavo Mansoの三名による研究「Independent Boards and Innovation」(Journal of Financial Economics, Vol. 123, 2017)は、独立取締役比率とイノベーション戦略の関係を大規模なパテントデータで分析した。
その結論は示唆深い。独立取締役比率が上昇した企業は、より混雑した(crowded)、より慣れ親しんだ(familiar)技術領域で特許を取得するようになった。特許の総数や引用回数は増えたが、増加したのは引用分布の中央付近——つまり漸進的な改善を示す特許だった。一方で、引用ゼロの特許(ミスの可能性が高い実験的試み)と引用数の極めて高い特許(革命的なブレークスルー)は、ともに増加しなかった。
数字では見えないが、この結果が意味することは大きい。独立取締役の比率が高まった企業では、探索的・実験的なイノベーション戦略が抑制されていた。安全な領域での量産を増やす一方で、新しい技術クラスへの進出は停滞した。
社外取締役がリスク許容度を収縮させる構造
なぜこうした現象が起きるのか。三つのメカニズムが考えられる。
第一に、情報の非対称性と判断コスト。 社外取締役は、事業の細部を知らない。特定の技術分野の前提知識、業界特有の商習慣、競合の動向——これらを理解するには相当の時間とコストがかかる。議論の俎上に乗る投資案件は、必然的に「説明しやすいもの」に偏る。前例のある投資、成熟した技術への追加投資、既存事業の強化は説明が容易だ。一方で、「なぜこの革新的な技術に今賭けるべきか」という問いに答えるには、複雑な文脈の共有が必要になる。社外取締役が多いほど、このコストが上昇する。
第二に、失敗の可視化と責任の帰属。 独立取締役が多い取締役会では、経営陣の意思決定への監視が強化される。監視の目が厳しいほど、失敗した投資の責任は明確になる。その結果、経営陣は「説明できる失敗」をする投資を選ぶようになる。革新的な事業の失敗は、「なぜそんなリスクを取ったのか」という問いを生む。成熟した領域への追加投資の失敗は、「市場環境が悪化したためだ」と説明できる。
第三に、任期の短さがもたらすタイムホライズンの問題。 社外取締役の任期は一般的に2〜3年だ。革新的な新規事業の成果が出るまでには5〜10年かかることが多い。自分の在任中に成果が見えない投資を強力に支持するインセンティブは、構造的に弱い。
「監視」と「探索支援」のコンフリクト
取締役会の機能は、大きく二つに分けられる。一つは経営陣の行動を監視・牽制する機能(monitoring)であり、もう一つは戦略的助言と資源配分への関与を通じて企業価値を高める機能(advising)だ。
独立取締役の強化は、モニタリング機能を向上させることを主たる目的として設計されている。問題は、モニタリング機能と探索的な投資への支援機能がトレードオフの関係にあることだ。
失敗率の高い実験的投資を支持するためには、結果への責任追及を一定期間猶予する「許容の余地」が必要だ。しかしモニタリング機能を強化した取締役会は、その余地を提供しにくい。経営陣が失敗を恐れず実験できる組織環境は、監視が緩い環境に依存している側面がある。これは腐敗を許すことではなく、不確実性を許容する設計の問題だ。
ガバナンスを機能させながらイノベーションを守る設計
社外取締役が有害だという結論ではない。問題は比率や人数ではなく、取締役会の構成と機能設計にある。
Balsmeier, Buchwald & Stiebale(2014、Research Policy 掲載)の研究では、革新的な企業の出身者を社外取締役として迎えた場合、特許活動が増加することが示されている。社外取締役の出身背景が、その後のイノベーション戦略に影響を与えるのだ。「独立しているか否か」よりも「どんな経験を持っているか」が重要だという示唆だ。
探索的な投資ポートフォリオを守るために、いくつかの設計が有効だ。取締役会の議論から独立した「イノベーション投資委員会」を設け、そこに実験的投資の判断権限を委ねること。長期投資と短期投資の評価軸を明確に分離し、取締役会が扱う案件のフレームを整理すること。そして、どの取締役が「探索的投資の理解者」として期待されているかを任命時に明確にすること。
「ガバナンスを強化すればイノベーションが促進される」という楽観的な等式は、成立しない。ガバナンスの設計とイノベーション戦略の設計は、それぞれ独立して、かつ整合的に行う必要がある。
関連するインサイト
- イノベーション予算の逆説——配分方法が事業の成否を決める
- イノベーション委員会が新規事業を殺す——承認プロセスという名の構造的ボトルネック
- 探索予算のリングフェンシング——イノベーション投資を守る財務設計
参考文献
- Benjamin Balsmeier, Lee Fleming & Gustavo Manso, “Independent Boards and Innovation,” Journal of Financial Economics, Vol. 123, Issue 3 (2017), pp. 536–557, https://www.sciencedirect.com/science/article/abs/pii/S0304405X16302355
- Benjamin Balsmeier, Achim Buchwald & Joel Stiebale, “Outside Directors on the Board and Innovative Firm Performance,” Research Policy, Vol. 43, Issue 10 (2014), pp. 1800–1815
- 東京証券取引所「コーポレートガバナンス・コード」(2021年改訂版)
- Gary P. Pisano, “You Need an Innovation Strategy,” Harvard Business Review (June 2015)
荒井宏之 / INNOVATION VOYAGE
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