スリーホライズンモデルの実装失敗——H3投資がH1改良に変わる組織力学
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スリーホライズンモデルの実装失敗——H3投資がH1改良に変わる組織力学

McKinseyのスリーホライズンモデルは戦略論として広く普及したが、実装の段階で破綻する構造を持つ。H3として立ち上げた探索投資が、なぜ時間とともにH1の漸進的改良に収斂していくのか。その力学を解剖する。

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「H3に投資している」企業の9割がH1を改良している

戦略発表会や経営計画書に「スリーホライズンで事業ポートフォリオを管理する」という記述が登場するようになって久しい。McKinsey & Companyが1999年に体系化したこのフレームワークは、日本の大企業のイノベーション戦略語彙として定着した。

しかし、H3(未来の探索)として立ち上げられた投資が、3年後にどう変質しているかを追跡すると、異なる現実が見えてくる。「H3」と呼ばれていた活動の大半が、H1(現在事業の改善)かH2(成長事業の拡張)になっている。 探索への投資として承認されたリソースが、深化への投資として使われている。

この現象は特定企業の失敗ではない。スリーホライズンモデルが内包する構造的な引力が、H3を常にH1方向に引き戻す。 フレームワークの設計自体に、実装を阻む力学が組み込まれている。

スリーホライズンモデルの設計論理と実装の前提

McKinseyの原典(Baghai, Coley & White, The Alchemy of Growth, 1999)が提示するスリーホライズンの設計論理は、時間軸とリスク特性の違いを明示的に扱う点で優れている。

H1(0〜2年): 現在の中核事業を維持・改善する活動。明確な財務指標で管理可能。 H2(2〜5年): 新興成長事業を育成する活動。市場仮説の検証段階で一定の収益見通しがある。 H3(5〜10年以上): 未来の事業オプションを探索する活動。財務的リターンの予測が本質的に困難。

この分類が意味を持つのは、各ホライズンを異なるガバナンス・評価基準・人事制度で管理するという前提が実現されているときだ。原典の記述も、この分離を前提として論じている。

ところが日本企業での実装パターンを見ると、この前提が満たされているケースはほぼ例外的だ。H1の財務管理ルール、H1の評価制度、H1の予算審査プロセスを維持したまま、その上にH3活動を重ねようとする。これは「水と油を同じ容器に入れて振り続ける」操作に近い。

H3がH1に変質する3つの組織力学

力学1:予算審査の「財務正当化」圧力

H3投資の承認プロセスは、多くの場合、H1と同じ予算審査会を通る。審査基準は暗黙的にH1と同一だ——「3年以内にどう回収するか」「市場規模の根拠は何か」「競合との差別化は」。

H3の本質は「財務予測ができないほど不確実な探索」だ。しかしこの不確実性は審査会で弱点として扱われる。結果として担当者は、財務予測が立てやすいH1隣接のテーマに軸足を移して申請する。「H3」というラベルを維持しながら、実態はH1の改良提案になる。

予算を守るために探索の本質を犠牲にするこの行動は、担当者個人の問題ではない。審査制度が要求する合理的応答だ。

力学2:人事評価の「H1貢献」への引力

H3担当者のキャリアは、通常の人事評価制度の枠内で管理される。昇進・昇給・異動の意思決定は、「既存事業への貢献度」を主軸とした評価基準によって行われる。

H3活動の成果——仮説の検証数、廃棄した方向性の数、発見した市場の歪み——はこの評価基準と根本的に相性が悪い。数年後の可能性への投資が、今年度の評価に変換されない。

優秀な人材ほどこの構造を理解し、評価される活動に時間を配分する。 H3担当に配属された有能な人物が、既存事業のコンサルティング的関与を増やし、「H3の知見を活かしてH1を改善した」という実績を積んでいく。これは合理的なキャリア戦略だが、H3への実質的な投資を空洞化させる。

力学3:スポンサーによる「現実化」要求

H3活動には、経営幹部がスポンサーとして関与するケースが多い。問題は、このスポンサーが時間の経過とともに「もう少し現実的な方向」を求め始めることだ。

スポンサーは自らの年度評価とH3活動の「成果」を連動させている。H3が「探索中」のまま何も生み出していない状態は、スポンサーにとって評価上のリスクになる。結果として「この技術を使って既存事業のコスト削減に応用できないか」「H1の営業チャネルで展開できるものに絞れないか」という方向修正が始まる

探索の方向性がスポンサーの短期的な評価ニーズに引き寄せられ、H3はH1への改良提案の調達装置に変質する。

「両利きの経営」との設計上の違いと混同リスク

スリーホライズンモデルとチャールズ・オライリー/マイケル・タッシュマンが論じる「両利きの経営(Ambidexterity)」は、しばしば混同される。

両利き経営の実装における陥りやすい失敗が指摘するように、両者の根本的な違いは「探索と深化の分離の徹底度」にある。 両利きの経営論は、探索ユニットの構造的分離(別組織・別P&L・別評価軸)を実装の核として位置づける。スリーホライズンモデルは分類の枠組みとして有用だが、分離の方法論については原典でも抽象的な記述にとどまる。

この曖昧さが実装の自由裁量を許し、「スリーホライズンを使っているが分離はしない」という矛盾した実装を可能にしてしまう。フレームワークとしての概念的明瞭さが、実装設計の難しさを隠蔽するという逆説が生じる。

イノベーション・ポートフォリオ論の構造的限界

スリーホライズンモデルの失敗は、このフレームワーク固有の問題だけではない。「ポートフォリオとしてイノベーションを管理する」という思想全体が抱える構造的限界と接続している。

VCのポートフォリオ論では、多数の投資先の中から少数が大きなリターンを生む「べき乗則」を前提として設計が行われる。投資家はポートフォリオ全体の期待値を管理し、個別投資の失敗を前提として受け入れる。

大企業がスリーホライズンで「ポートフォリオ管理」を行う場合、このVCの論理を移植しようとする。しかし大企業の予算配分は、べき乗則的なリターン分布を前提として設計されていない。均等なリターンと説明責任を要求する予算管理が、VCの論理を機能不全にさせる。

イノベーション予算設計の構造的問題が論じるように、探索と深化を同一の予算ガバナンスの下に置く限り、深化の論理が探索を侵食し続ける。

フレームワークを「使う」前に問うべき設計条件

スリーホライズンモデルが機能する条件は、原典が前提とする制度的分離が実現されているときに限られる。この条件を確認せずにフレームワークを導入すると、概念として機能するが実装として機能しないという状態が生まれる。

条件1:H3専用の予算審査プロセスの設計。 H1の財務指標で審査しない。H3の審査基準は「仮説の質と検証設計の妥当性」に置く。財務予測の精度を問う時点でH3の審査として機能しない。

条件2:H3担当者のキャリアパスの明示。 探索活動が評価される人事制度がなければ、優秀な人材はH3に配属されることを避ける。「H3経験者がどのキャリアに進んでいるか」の実績を作ることが、担当者の動機形成の前提になる。

条件3:H1とのパフォーマンス比較の禁止。 H3の活動をH1の財務成果と同軸で比較することを制度として禁止する。比較を許すと評価会議でH3は常に見劣りし、予算削減の対象になる。

これら3条件が揃わない状態でスリーホライズンを導入しても、イノベーション戦略の語彙が増えるだけで、H3への実質的な投資は増えない。 フレームワークは概念的な正当化の道具として機能するが、組織の実態を変えない。

「ラベルの問題」として理解する

スリーホライズンモデルの実装問題を最も簡潔に表現すると、「H3というラベルと、H3という実態は別物だ」ということになる。

H3と呼ばれている活動の実態を確認するには、担当者の時間配分・評価指標・予算審査の基準・スポンサーの行動を観察するほうが、活動名称を聞くよりも正確だ。組織はラベルではなく、インセンティブに従って動く。 H3のラベルがあっても、インセンティブがH1を指しているなら、実態はH1だ。

フレームワークを導入する前に「この組織のインセンティブ設計は探索を報酬として扱えるか」を問うことが、スリーホライズンの使い方として最も重要な問いだ。


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参考文献

  • Baghai, Mehrdad; Coley, Stephen; White, David. The Alchemy of Growth: Practical Insights for Building the Enduring Enterprise. Perseus Books, 1999.
  • O’Reilly, Charles A.; Tushman, Michael L. Lead and Disrupt: How to Solve the Innovator’s Dilemma. Stanford Business Books, 2016.
  • Christensen, Clayton M.; Raynor, Michael E. The Innovator’s Solution: Creating and Sustaining Successful Growth. Harvard Business Review Press, 2003.
  • McGrath, Rita Gunther. “Transient Advantage,” Harvard Business Review, June 2013.
  • Blank, Steve. “McKinsey’s Three Horizons Model Defined Innovation for Years. Here’s Why It No Longer Applies,” Harvard Business Review, February 2019.

荒井宏之 / INNOVATION VOYAGE

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