「新規事業の予算が取れない」という問いの立て方が間違っている
大企業の新規事業担当者から頻繁に聞く訴えがある。「経営から承認される予算が全体の数%しかない」「昨年よりイノベーション活動の予算が削られた」——これらの嘆きは理解できる。しかし、問いの立て方が間違っている可能性がある。
予算の「量」より、予算の「設計」の方が重要だ。
不十分な設計のもとでは、予算が増えても同じ問題が繰り返される。同一のROI審査プロセス、業績連動する探索予算、探索と活用を兼任するチーム——この3つの構造的欠陥が残る限り、10%が取れても15%が取れても新規事業投資は縮小し続ける。
本記事では、70-20-10ルールの設計思想、Horizon 1/2/3の予算配分モデル、イノベーション会計との接続、そして日本企業での実装ステップを構造的に解説する。
70-20-10ルールの本来の意味:数字より「分離の論理」
70-20-10ルールはGoogleのCEOを務めたEric Schmidtが提唱した予算・時間・人材配分の原則だ。
- 70%: コアビジネスの維持・改善に投資
- 20%: コアビジネスに隣接する新分野の探索に投資
- 10%: 全く新しい可能性に投資
多くの企業がこの数字だけをコピーして失敗する。「10%確保した、あとは同じプロセスで管理する」——これでは何も変わらない。
ルールの本質は「3種類の投資を、異なる基準・異なるプロセスで管理する」ことだ。
コアビジネスの効率化と新規探索は、評価基準も意思決定の論理も根本的に異なる。それを同一の「ROI見込み・3年後の売上計画」で審査すれば、短期的に成果の出るコア事業が優先される——これが大企業でイノベーション投資が縮小していく構造的メカニズムだ。
数字(70/20/10)は業種・成熟度・競争環境によって変わる。Google自身も「この比率は固定ではない」と認めている。重要なのは「3つの投資タイプを意識的に分離して管理する設計思想」だ。
Horizon 1/2/3モデル:成熟度別の投資管理フレーム
McKinsey & Companyが開発し、Baghai・Coley・Whiteが2000年の著書 The Alchemy of Growth で体系化した「Three Horizons(3つの地平線)モデル」が、70-20-10の理論的基盤を提供する。
Horizon 1(現在の収益事業)
既存のビジネスモデルを維持・改善し、今期の収益を守る活動だ。ROIが明確に計測でき、改善の効果が短期間で現れる。投資の確実性が最も高い。
典型的な投資: 既存製品の品質改善、オペレーションコストの削減、既存市場でのシェア拡大
予算管理の原則: 通常の事業予算の枠組みで管理できる。営業利益・コスト削減効果・ROIが主要指標。計画対比での評価が機能する。
落とし穴: H1への過剰投資が「イノベーションの機会損失」を生む。既存顧客の要求に全力で応えることが、Christensenが指摘する「イノベーションのジレンマ」の構造を生む。
Horizon 2(成長事業・隣接市場)
現在のビジネスモデルを拡張するか、隣接市場に進出することで、3〜5年後の収益の柱を作る活動だ。H1ほど確実ではないが、全く新しい技術や市場ではない。
典型的な投資: 新地域への展開、既存顧客への新製品・新サービス提供、隣接市場への参入
予算管理の原則: 通常の事業予算では管理しにくい。3〜5年の時間軸で評価する必要があり、短期的なROIで評価すると過剰削減される。年次の収益貢献ではなく、「市場拡大の進捗」「パイプラインの質」を中間指標とする。
落とし穴: H2のプロジェクトがH1の基準で審査され、「3年後の収益計画の根拠が弱い」として棄却されるパターンが頻発する。
Horizon 3(未来の成長ドメイン)
現在の事業とは関係なく、5〜10年後の新たな成長の核になりうるものを探索・実験する活動だ。大半は失敗するが、その中から次のH1が生まれる可能性がある。
典型的な投資: 先端技術の研究・試作、全く新しい顧客層へのアプローチ、ビジネスモデルの根本的な革新実験
予算管理の原則: 通常の投資評価基準は機能しない。「学習量」「仮説検証の数と質」「将来の選択肢の数(リアルオプション)」を指標として管理する。財務指標は5〜10年後まで意味を持たない。
落とし穴: H3予算がH1/H2の基準で審査されることで、そもそも予算申請が通過しない。または「まず結果を出してから」という条件が付き、探索の本質が失われる。
日本企業での運用実態:3つの構造的失敗
日本の大企業でこのモデルが「機能していない」ケースには、構造的な共通パターンがある。
失敗1:全予算申請が同一の審査プロセスを通る
H3のプロジェクト(リターンが不確実な探索活動)が、H1のプロジェクト(既存事業の改善)と同じ「ROI見込み・3年後の売上計画・リスク評価」の書式で審査される。
H3プロジェクトがこの審査を通過できるわけがない。 「3年後の売上計画の根拠を示せ」と言われても、PMF前の探索フェーズにそのような根拠は存在しない。その数字を書くことを強いられると、担当者は「作られた楽観的な予測」を書くか、プロジェクト自体を申請しなくなる。
設計の解決策: 投資の「ホライズン」によって承認基準を変える。H3の予算申請フォーマットには「検証する仮説の一覧」「成功・失敗の判断基準(閾値)」「学習報告のタイミング」を記入する別フォームを設ける。ゲートキーパー(審査者)の構成もH1とH3で変える。
失敗2:H3予算が業績に連動して削られる
H3の活動を「業績が良い年だけできる余裕活動」と位置づけると、業績悪化期に真っ先に削られる。しかしリセッション期・業績悪化時こそ、将来の競争優位となるH3への投資が最も必要な時期だ。
Amazon・Google・Appleは景気後退期にも研究開発投資を維持し続けた。 このカウンターサイクリカルな投資規律が、長期的な競争優位の源泉になっている。2009年のリーマンショック後も、Amazonはクラウド(AWS)への投資を継続した。競合が縮小する市場で圧倒的な地位を築いた。
設計の解決策: H3予算を「リアルオプション購入費」として経営レベルで認識する。将来の不確実性に対するヘッジコストとして、業績に連動させない「聖域」に設定する。「H3を削る場合は代替のH3投資先を示す」という制約を設けることで、安易な削減を防ぐ。
失敗3:探索と活用を同じチームが兼任する
「新規事業も既存事業改善も同じ部署がやる」という構造では、H3は常に後回しになる。既存事業に緊急案件が入れば、新規事業は止まる。これは担当者の意欲の問題ではなく、構造の問題だ。
Tushman & O’Reillyの「両利きの経営(Ambidexterity)」研究は、「探索(Explore)と活用(Exploit)を同一チームで並行させることは認知科学的にも非効率だ」と示している。高度に集中が必要な2種類の異なる思考モードを、同じ人材に求めることは無理がある。
設計の解決策: H3の探索を専任チームに分離する。専任チームは独立した評価制度・予算権限・報告ラインを持つ。H1の事業責任者の指揮下に置かない。
イノベーション会計:H3投資の「進捗」を可視化する
Eric Riesが『リーン・スタートアップ』で提唱したイノベーション会計(Innovation Accounting)は、通常の財務会計では測定できないH3の「進捗」を可視化するための代替的な指標体系だ。
なぜ通常の財務指標がH3に使えないか: H3のプロジェクトはPMF前であり、売上・利益・ROIという財務指標は「まだ意味を持たない段階」にある。しかしそれは「何も測定できない」ではなく「別のものを測定すべき」という意味だ。
イノベーション会計の3ステップ
ステップ1:実際のデータで現在地を特定する
MVPを使った最初の実験データから「現時点の顧客獲得コスト・転換率・D7リテンション率」を計測する。希望的な将来予測ではなく、現実のベースラインを設定する。「計画」ではなく「現実」を出発点にする。
ステップ2:ベースラインから「検証された学習」に向けてチューニングする
個々の仮説を検証し、指標を改善する実験を繰り返す。売上が上がったかどうかではなく、「転換率・リテンション率・紹介率」という先行指標が閾値に向かって改善されているかどうかを追う。
ステップ3:ピボット or ペルセビアを判断する
ベースラインを設定してから十分な実験を重ねても先行指標が改善されない場合、戦略の根本的な変更(ピボット)を決断する。指標が改善されていれば、現在の方向性を維持(Persevere)する。この判断を「データと事前に決めた閾値」に基づいて行う。
イノベーション会計の指標例
| 検証フェーズ | 測定指標の例 | 意味 |
|---|---|---|
| 課題検証フェーズ | インタビューで「この課題は重要」と答えた割合(例:8/10人以上) | 解決すべき課題が実在するか |
| 解決策検証フェーズ | プロトタイプに対する「使いたい」意向率(例:60%以上) | 解決策の方向性が正しいか |
| MVP検証フェーズ | D7リテンション率(例:30%以上) | 核心的な価値が伝わっているか |
| スケール検証フェーズ | 紹介経由の新規ユーザー比率(例:20%以上) | 持続的成長の種があるか |
日本企業でイノベーション会計が普及しない最大の理由は、「計画との乖離」を管理する会計思考が支配的だからだ。 「計画通りか否か」ではなく「仮説が正しかったか否か」という評価軸への転換が、設計の核心だ。
実装ステップ:予算設計を変えるための4段階
以上を踏まえた実践的な予算設計の実装ステップを示す。
Step 1:現在の投資をH1/H2/H3に分類する(可視化)
既存の全予算・全プロジェクトをHorizonで分類する。「どの活動がH3の探索か」を明確化するだけで、多くの企業でH3が実質0%であることが判明する。この可視化が、経営対話の出発点になる。
「H3がゼロ」という事実を経営層と共有することで、「今後10年の事業ポートフォリオに探索の種がない」という構造的リスクを認識できる。
Step 2:H3の「聖域予算」を設定する(保護)
業績に連動させないH3予算を設定する。Googleの10%を参考にしながら、自社の産業特性・成熟度に合わせた比率を決める。
重要なのは比率ではなく「削らないという意思決定プロセスを設けること」だ。 「H3予算を削減する場合は、取締役会レベルでの意思決定を必要とする」という制約が、現場での恣意的な削減を防ぐ。
Step 3:H3の承認・評価基準を別途設計する(分離)
H3の予算申請フォーマットを「財務計画」ではなく「仮説検証計画」とする。記載項目は「検証する仮説の一覧」「各仮説の検証指標と閾値」「1ループのコストと期間」「学習報告のスケジュール」だ。
承認者(ゲートキーパー)はH1の事業責任者ではなく、新規事業経験者・外部起業家・イノベーション担当役員とする。「既存事業の論理」を持ち込まない体制を設計する。
Step 4:H1〜H3間のポートフォリオを定期的に見直す(管理)
半年〜年次で「H3からH2にプロモートするプロジェクト」「H3で終了するプロジェクト」「新たにH3に投資するテーマ」を判断する。このポートフォリオ管理こそが70-20-10の本質的な実装だ。
このレビューに経営トップが参加することが重要だ。「どのH3テーマを来年H2にプロモートするか」という議論が、「イノベーション戦略の実態」だ。
誰にとって有用か
「新規事業への投資を経営に認めさせたい」新規事業推進者へ: 予算の「量」ではなく「設計の問題」として再定義することで、経営対話の入り口が変わる。「10%ください」ではなく「H3予算の評価基準を変えてください」という提案は、経営層が対応しやすい具体的な制度提案になる。
全社のイノベーション予算設計を担当している経営企画・財務部門へ: H1/H2/H3の分類と評価基準の分離が、「毎年イノベーション投資が削られる構造」を変える実装の起点だ。まず全予算のHorizon分類から始めるとよい。
スタートアップとの協業(CVC・アクセラレーター)を担当している大企業担当者へ: 外部との協業を「H3への投資」として位置づけ、財務的なリターンではなく「学習と将来の選択肢の拡大」を評価軸とする設計が、協業の継続性を高める。
関連するインサイト
参考文献
- Baghai, M., Coley, S. & White, D. The Alchemy of Growth: Practical Insights for Building the Enduring Enterprise, Basic Books (2000)
- Ries, E. The Lean Startup: How Today’s Entrepreneurs Use Continuous Innovation to Create Radically Successful Businesses, Crown Business (2011)(邦訳:『リーン・スタートアップ』日経BP)
- O’Reilly, C.A. & Tushman, M.L. Lead and Disrupt: How to Solve the Innovator’s Dilemma, Stanford Business Books (2016)(邦訳:『両利きの経営』東洋経済新報社)
- Schmidt, E. & Rosenberg, J. How Google Works, Grand Central Publishing (2014)(邦訳:『How Google Works』日本経済新聞出版社)
- McGrath, R.G. The End of Competitive Advantage: How to Keep Your Strategy Moving as Fast as Your Business, Harvard Business Review Press (2013)(邦訳:『競争優位の終焉』日本経済新聞出版社)
荒井宏之 / INNOVATION VOYAGE
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