企業R&Dと商業化の断絶——研究成果が事業になる前に消えていく構造的理由
組織設計

企業R&Dと商業化の断絶——研究成果が事業になる前に消えていく構造的理由

大企業の研究開発部門は成果を出す。しかしその成果が事業化される前に消える。研究組織と事業部門の評価基準の非対称性、知識移転の失敗構造、商業化プロセスの不在が作り出す断絶を解析する。

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研究開発部門は成果を出している。特許は取れている。論文も書かれている。プロトタイプも動いた。

しかし事業部門はそれを知らないか、知っていても使わない。 技術は存在するが事業にならない。この断絶は研究の失敗でも事業部門の無能でもなく、両者をつなぐ設計が存在しないことの必然的帰結だ。

McKinseyの2024年のリポートは、日本の産業R&D部門が「世界最高水準のパフォーマンスをもはや達成できていない」という自己評価を持つことを報告した。イノベーション・ラボをイスラエルやシリコンバレーに設立しても、「その連携がまだ商業製品に繋がっていない」という実態も指摘されている。技術探索と商業化の断絶は、グローバルな現象だが日本企業で特に構造化されている。

研究者と事業部門の評価基準の非対称

断絶の根本原因は、評価基準の非対称だ。

研究者の評価は論文件数・特許件数・学術的インパクト・研究賞の受賞で決まる。この指標は知識の生産に関するものであり、知識の移転・事業化には結びついていない。

事業部門の評価は売上・利益・顧客獲得・市場シェアで決まる。この指標は既存の知識・製品の活用に関するものであり、未実績の技術を理解・習得するコストを正当化しにくい。

両者が完全に異なる指標で動くとき、知識移転のインセンティブが構造的に欠如する。 研究者は技術を事業部門に移転することで評価が上がらない。事業部門担当者は研究部門の技術を時間をかけて理解することで業績が上がらない。合理的な個人が合理的に動いた結果、誰も「橋渡し」をしない。

デスバレーの構造——誰のリソースでもない段階

R&D成果が商業化に至る過程には「デスバレー(死の谷)」と呼ばれる段階がある。基礎研究が完了し、技術的実現可能性が証明された後——製品化・量産・市場投入の前——の段階だ。

この段階は研究部門の担当でも事業部門の担当でもない。研究部門は「研究は終わった」と認識し、事業部門は「まだ製品ではない」と認識する。デスバレーに落ちた技術に対して、誰もリソースを割り当てない。 担当者が存在しない段階の技術は、担当者が決まるまで放置され、その間に市場環境が変化したり、担当研究者が異動したりして消える。

Wiley Online Libraryに掲載された2025年の研究(Popovics他)は、R&D集中環境での失敗技術の「再発見」プロセスを事例研究しているが、これは裏返せばデスバレーで失われた成果が再発見される機会が稀にあるということだ。多くの場合は再発見されない。

知識移転の困難性——暗黙知の壁

研究部門から事業部門への知識移転には、別の障壁がある。技術的知識の多くは暗黙知(tacit knowledge)として研究者に内在している。 論文・特許・報告書に書かれた形式知だけでは、技術を再現・活用することが難しい。

事業部門担当者が特許を読んでも、その技術を事業に使えるかどうかの判断は難しい。使うためには研究者から直接学ぶ必要があるが、研究者は評価に関係しない知識移転に時間を使うインセンティブを持たない。

マイケル・ポランニーが1966年に定式化した「私たちは言葉にできる以上のことを知っている(We can know more than we can tell)」という暗黙知の概念は、R&D-商業化断絶の問題に直接当てはまる。書けない知識は移転できない。移転できない知識は事業化されない。

開発部門と量産部門の二重断絶

大企業では研究→開発という段階の後に、開発→量産という別の断絶が存在する。

開発部門がプロトタイプを完成させても、量産に移す段階で「量産前提設計になっていない」という問題が浮上する。製造業が小ロットを実現できない構造で指摘したように、大企業の製造設備・品質管理プロセス・コスト構造は大量生産を前提に最適化されており、新規技術の小ロット初期生産には適していない。

研究→開発の断絶と、開発→量産の断絶が直列に並ぶとき、R&D成果が商業化に到達する確率は2つの壁を越えなければならない。どちらかで詰まっても事業化は止まる。 これが大企業でR&D成果の商業化率が低い構造的理由だ。

商業化を前提とした研究組織設計

R&D-商業化断絶を解消するためには、研究の設計段階から商業化を組み込む必要がある。

TRL(技術成熟度指標)によるステージ管理が有効な手段の一つだ。 NASAが開発し、欧州委員会が採用するTRLはTRL1(基礎的原則の観察)からTRL9(実際の運用環境での実証)まで9段階で技術の成熟度を定義する。各TRL段階に対して担当部門・評価基準・次段階移行条件を設計すると、誰もリソースを割り当てない「デスバレー」段階が可視化される。

「サテライト・ラボ」モデルも実績がある。 研究者を事業部門内に物理的に配置し、事業課題と直接接触しながら研究を行う。この設計では研究者が「何が事業課題か」を実体験として知り、事業部門担当者が「この技術は何に使えるか」を研究者から直接学べる。暗黙知の移転に物理的近接は有効だ。

METIが2023年の提言(R&D・イノベーション小委員会)で「イノベーション循環の促進」として提示したフレームも、研究と事業化の接続を政策課題として認識している。しかし政策的な仕組みを待つより、企業内部の評価設計・組織設計を変えるほうが即効性がある。

評価制度が変わらなければ設計は変わらない

R&Dと商業化の断絶は、突き詰めると評価制度の問題だ。

研究者に商業化貢献を評価指標として加えなければ、研究者の知識移転インセンティブは生まれない。事業部門に「未実績技術の理解・習得」を評価項目として加えなければ、事業部門の技術吸収インセンティブは生まれない。橋渡し機能を担う役職を設けなければ、デスバレーに担当者が現れない。

「研究開発を事業化に繋げる」という方針は、評価制度が変わらない限り、方針として表明されるだけで組織の行動を変えない。 合理的な個人は評価される行動を選ぶ。評価制度が変わったとき、初めて組織の行動が変わる。

イノベーション部門の予算交渉戦略で指摘したように、探索投資を既存事業の損益から切り離す「リングフェンス」と同様の設計思想が、R&D商業化プロセスの設計にも必要だ。商業化プロセスを「研究でも事業でもない中間的な第三の活動」として明示的に認め、そのための予算・人員・評価基準を別途設計する。これが断絶を埋める最も直接的な介入だ。

荒井宏之 a.k.a. ピンキー

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