P&L責任者に「10年先」を考えさせるという矛盾
「事業部長がもっとイノベーションに投資すべきだ」——経営層はこう言うが、事業部長の評価指標はその四半期のP&Lだ。イノベーション投資は短期的にコストを増やし利益を減らす。評価制度が短期利益に連動している限り、事業部長が合理的にとる行動は、イノベーション投資の抑制だ。
「イノベーションへの投資を増やせ」と「四半期利益を改善しろ」は、現在の評価制度の下で同時に実現できない命題だ。 それを同一人物に求めることが、問題の出発点にある。
四半期思考が組織に埋め込まれる構造
P&L責任は、それ自体が問題なのではない。問題は、P&L管理のサイクルと評価のサイクルが、イノベーション創出に必要な時間軸と根本的にズレていることだ。
新規事業の創出に必要な時間軸は、一般的に3〜10年だ。顧客課題の発見から事業化、PMF(プロダクト・マーケット・フィット)、そしてスケールまでを経営環境が急変する中で進めるには、複数年の持続的投資が不可欠だ。
ところが事業部のP&Lは四半期ごとに評価され、その結果が人事評価に直結する。この構造の中では、1年後・3年後・10年後の果実のために今期のコストを増やす決断は、合理的にとれない。
短期志向は個人の怠慢ではなく、制度設計の帰結だ。
ジャック・ウェルチがGEで導入した「ウェルチ・モデル」——四半期ごとのEPS(一株当たり利益)成長を経営の中心指標に据える——は、1990年代から2000年代にかけてアメリカ大企業の標準になった。その後の研究が示したのは、このモデルが長期的イノベーション投資(特にR&D)を系統的に削減したという事実だ。
P&L責任がイノベーションを排除する5つの経路
経路1:「今期の利益か、将来の事業か」のトレードオフを迫る
新規事業への投資はコストだ。研究費、人件費、プロトタイプ費用——これらはすべてP&Lの借り方に記録される。今期の利益を圧迫する。
P&L責任者にとって、このコストは「正当化が難しい投資」だ。既存事業への投資なら売上増加と直結させて説明できるが、新規事業への投資は「将来の」という不確実な言葉でしか正当化できない。上長への説明責任が重くなるほど、この種の投資は削られやすい。
経路2:「稼ぐ事業」と「育てる事業」を同じP&Lで管理する
成熟した既存事業と黎明期の新規事業を同じP&Lで管理することは、根本的な設計ミスだ。既存事業は最適化を求められ、新規事業は探索を求められる。最適化の論理で探索事業を評価すると、新規事業は常に「不採算」に見える。
「なぜこの事業はまだ黒字になっていないのか」——この問いを新規事業の初期フェーズに向ける管理者は、新規事業がどういうものかを理解していない。しかし同じP&Lに乗せられている限り、この問いは自然に生まれる。
経路3:リソースの傾奪が常態化する
四半期末が近づくと、既存事業の目標達成のために新規事業のリソースが傾奪される。担当者の時間、開発リソース、マーケティング予算——「今期の数字を作る」ための緊急動員が、新規事業の継続性を断ち切る。
この傾奪は個人の意志ではなく構造的に発生する。P&L責任者の評価が四半期P&Lに連動している限り、「今期の数字」への対応は「来期の事業の種」より優先される。
経路4:撤退判断を遅らせる
逆説的だが、P&L思考は新規事業の「撤退すべき時に撤退する」能力も損なう。P&Lに計上されたコストは既に発生した費用(サンクコスト)だが、「これだけ投資したのに撤退できない」という心理的負荷が合理的な撤退判断を遅らせる。
さらに、P&L管理下での新規事業撤退は「管理者の失敗」として記録されやすい。撤退の責任回避のために、成果の出ない事業が「ゾンビ案件」として生き続ける。
経路5:最適化人材の内部選抜
長期間にわたるP&L管理文化は、評価システムを通じて特定のタイプの人材を選抜する。「既存事業の最適化に長けた人材」が組織の中核に残り、「ゼロからの創造に挑む人材」は評価されにくい環境で、外に出るか消耗する。
組織は評価制度が選抜したタイプの人材で満たされていく。P&L思考が支配する組織では、イノベーターに適した人材が構造的に排除される。
なぜ「両利きの経営」は難しいのか
チャールズ・オライリーとマイケル・タッシュマンが提唱した「両利きの経営(Ambidexterity)」——既存事業の「深化」と新規事業の「探索」を同時に行う組織モデル——は、理論としては説得力がある。
しかし実装が難しい根本的な理由は、探索と深化を「同じ管理者が同じ評価制度の下で行う」という設計矛盾にある。
探索に必要な評価指標(学習速度、仮説検証数、ピボットの質)と深化に必要な評価指標(利益率、コスト効率、品質安定性)は、根本的に異なる。これらを同一の評価制度で管理しようとすれば、必ずどちらかが犠牲になる。現実には、短期の説明責任が重い深化(既存事業)が優先され、探索(新規事業)が後退する。
組織的両利きの失敗パターンが繰り返されるのは、この設計矛盾を解消しないまま「両利き」を宣言するためだ。
構造的解決の3つの設計原則
P&L思考とイノベーションを両立させるためには、制度レベルの設計変更が必要だ。
原則1:時間軸を分離した評価制度。 既存事業は四半期P&Lで評価し、新規事業は3年・5年のマイルストーン達成で評価する。同じ評価サイクルに乗せない。Amazon、Alphabet(Google)、3Mが長期投資を維持できる理由の一つは、事業段階に応じた時間軸の使い分けにある。
原則2:新規事業の予算を独立させる。 事業部のP&Lから切り離した「イノベーション予算」を経営直轄で管理する。この予算は四半期P&Lの圧迫を受けない。傾奪されない独立財源がなければ、新規事業の継続性は常に脅かされる。
原則3:評価者と評価基準を分ける。 既存事業の評価者(CFO・事業部長)と新規事業の評価者(CIO・イノベーション委員会)を分離する。同じ人間が異なる論理の事業を評価しようとすれば、どちらかの論理が支配する。
「P&L管理とイノベーションを同じ土俵に乗せない」——これが、両者を共存させる唯一の現実的な方法だ。
関連するインサイト
- 組織的両利きの失敗パターン——なぜ「両利きの経営」は実装できないのか
- イノベーション予算の逆説——配分方法が事業の成否を決める
- イノベーション・バジェットの設計——新規事業への資源配分メカニズム
- MBAの思考法でゼロイチが生まれない理由
参考文献
- O’Reilly, C. A. & Tushman, M. L. “The Ambidextrous Organization,” Harvard Business Review (April 2004)
- Lazonick, W. “Profits Without Prosperity,” Harvard Business Review (September 2014)
- McGrath, R. G. “The End of Competitive Advantage,” Harvard Business Review Press (2013)
- Mankins, M. C. & Steele, R. “Turning Great Strategy into Great Performance,” Harvard Business Review (July-August 2005)
INNOVATION VOYAGE 編集部
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