生成AIが書いた新規事業提案書はなぜ稟議を通らないのか——「誰が責任を取るか」をAIは代わってくれない
生成AIに新規事業の提案書を書かせている企業から、最近よく聞く声がある。「ドラフトの完成度は 上がった。ROI試算も競合分析も、以前より厚く速く仕上がる」。そしてそのすぐ後に、もう一つの声が 続く。「でも、稟議の通過率も、承認までの日数も、ほとんど変わっていない」。
情報量は増えた。論点も網羅されている。それなのに、稟議の場で交わされるやり取りは変わらない。 「この数字の根拠は誰が確認したのか」「撤退基準はどの部署が承認したのか」——文章の質とは無関係な 問いが、以前と同じ位置に居座り続けている。この現象は、AIエージェントによる意思決定代行が 責任の所在を空洞化させる構図と同根にある。
AIは「情報を埋める」が「責任を引き受けない」
生成AIが得意なのは、提案書の空欄を埋めることだ。市場規模の推計、競合他社の動向整理、想定される リスクの列挙——こうした欄は、以前なら担当者が半日から数日かけて調べていたものが、数十分で 一定水準まで埋まるようになった。
問題は、埋まった欄の「中身」ではなく「宛先」にある。ROI試算の数字が厚くなればなるほど、稟議の場 では逆に「この数字は誰が最終確認したのか」という問いが強まる。AIが生成した推計値をそのまま 提案書に載せた担当者は、その数字の妥当性を自分の名前で保証してはいない。AIも同様に、数字の 責任を引き受けてはくれない。数字は存在するのに、その数字の責任者だけが空白のまま残る。
稟議に関わる財務・法務・既存事業側の担当者は、この空白を敏感に嗅ぎ取る。情報量が厚いことは 歓迎されても、「この論点についての一次判断は誰がしたのか」が読み取れない提案書には、判子を 押しにくい。情報は歓迎される。だが、責任の所在が見えない情報は、かえって承認者の手を止める。
稟議が問うているのは文章の説得力ではなく「失敗時の帰属先」
なぜ、情報量が増えても稟議は動かないのか。稟議という仕組みが本来問うているのは、提案の 説得力そのものではないからだ。
組織経済学には、意思決定権限(decision rights)の配置を扱う一群の議論がある。経営学者 マイケル・ジェンセンらが整理した枠組みでは、ある判断に必要な知識を持つ人と、その判断を 下す権限を持つ人が一致していない組織は機能不全を起こしやすいとされる。同じ枠組みは リバースメンタリングが新規事業を変えない構造的理由 でも「知る」と「決める」の分離として扱った。稟議のフォーマットに 並ぶ「前例の有無」「撤退基準」「承認者の押印欄」は、知識と権限のズレを埋め、誰がその判断の 帰属先かを明示するための装置になっている。
生成AIが埋めているのは、この装置のうち「知識」の欄だけだ。市場規模がいくらか、競合がどう 動いているか——これは知識の問題であり、AIが得意とする領域である。だが「この判断が外れたとき、 誰がその責任を負うか」という権限の欄は、知識をいくら足しても埋まらない。AIが厚くしているのは 提案書の情報量であって、稟議が本当に必要としている「帰属先の明示」ではない。
結果として起きるのは、次のような光景だ。提案書のページ数は増え、グラフも根拠データも揃って いる。それでも稟議の会議では、以前と同じ質問が繰り返される。「これは誰の判断か」。情報が 足りないのではなく、情報の後ろにいる人間が見えないことが、承認を止めている。
「著者性」を稟議フォーマットに埋め込み直す3つの再設計
生成AIを提案書の作成から締め出す必要はない。情報を素早く厚く揃える力は、稟議を通すための 前提条件として有効だ。問題は、この力を「権限の再設計」とセットにしていない点にある。 具体的には、次の3つが有効な再設計の方向になる。
1. AI生成箇所と人間の一次判断箇所を、提案書の中で明示的に色分けする。 どの数字がAIによる 推計で、どの判断が担当者自身の一次判断かを区別できる形式にする。すべてを地の文で均質に 書かない。
2. 判断ごとに責任者名を明記する欄を設ける。 「この撤退基準はAという役職が最終承認した」 「この市場規模の推計はBが検証した」と、論点単位で帰属先を書き添える。提案書全体に 1つの承認欄があるだけでは、個々の判断の責任は分散したままになる。
3. 撤退基準だけは、必ず人間が単独で決裁する運用ルールにする。 撤退基準はプロジェクトが 失敗したときに、責任の所在を最初に問われる論点になる。ここだけはAIの推計をそのまま採用せず、 人間が一次判断として明記する運用を固定する。厚みのある提案書の中でも、この1点だけは著者性を 譲らない。
稟議の通過率は、提案書の厚みでは測れない
生成AIで提案書のドラフト作成を内製化し始めた担当者に、一つだけ確認してほしいことがある。 次の提案書を稟議に出す前に、ページのどこかに「この一文の責任者は誰か」と聞かれたら即答 できる箇所があるかどうかだ。
答えられる箇所が1つもないまま、情報量だけを積み増しても、稟議の通過率は動かない。AIが 埋めているのは知識の欄だけであり、権限の欄は空のまま残る。空欄を先に埋める。 厚みが承認に変わるのは、そのあとだ。
荒井宏之 / INNOVATION VOYAGE
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